ゆないてっどじろーず

140字以上のチラシの裏置き場です

「リア友」と「ネッ友」という概念

最近やたら思うんですが、世間ってべらぼうに狭いですよね。

特に大学に入ってから、自分の学校の知り合いとフォロワーのオタクが同級生だったとか、バイト先の人とフォロワーのオタクが友人だったとかそんな事案ばかり発生しているので尚更そう思います。

また、近頃はネットで出会った人々*1 と遊びに行ったり飯を食ったりということも増えました。下手すると大学や高校時代の友人よりも会う頻度が高いんじゃないかと思うこともたまにあります。

 そんなこともあってか、この頃「リア友」とか「ネッ友」という言葉に妙に違和感を覚えます。
「リア友」というのが「リアル友達」、「ネッ友」が「ネット友達」の略なのは今更言うまでもないことかと思いますが、*2 それでは何を以て「リアル友達」「ネット友達」と定義するのか。日本語俗語辞書の「リア友」の解説を見てみることにします。

 リア友とは「リアル友達」の略である。ここでいう「リアル」とは単に「本物の、現実の」といった意味ではなく、インターネットをバーチャル(仮想)とした際の対語として使われる。つまり、リア友とは学校の友達など実生活の中で遊んだり、話したりする友達を意味する。なお、ネットで知り合い、オフ会などで度々会うようになったネット友達に関しては、ネット友達扱いのままにする場合とリア友と考える場合にわかれる。この点に関して、特に細かい定義はされておらず、あくまで個人の考え方・価値観による。

リア友(りあとも) - 日本語俗語辞書

 なるほど。概ね思っていた通りですが、後半に気になる文言がありますね。

なお、ネットで知り合い、オフ会などで度々会うようになったネット友達に関しては、ネット友達扱いのままにする場合とリア友と考える場合にわかれる。

「リア友」という言葉が使われ始めた2000年代のインターネットにおいて、「ネッ友」が作られる場は主にオンラインゲーム各種チャットサイトだったと思います。自分も利用してましたし、いろんなところにたくさんの黒歴史、もとい思い出を置いてきました。*3 そしてこれらのサイトを利用していた自分のような人々にとって、ネットと現実というのは完全な別世界でした。インターネットというのはいわばもう一つの宇宙のようなものだったのかもしれません。「リア友」「ネッ友」という線引きは、こうした背景によって生み出されたのではないか、と思います。

ところが近年、LINETwitter等のSNSスマホの普及に伴って、ネットと現実の境界線のようなものが急激に曖昧になったように感じます。完全な仮想世界だったインターネットも現実の延長という性格が強くなり、「ネット上の自分」と「現実の自分」の距離が一気に縮まったな、とも思います。
「画面の向こうにいる人間と実際に会う」という事についても、一昔前は「オフ会」という形で、一つの非日常的なイベントとして行われていたことが多かったと思います。しかし最近では「たまたま近くにいるTwitterのフォロワーとそのままふらっと飯を食いに行く」というような、現実世界における友人と大差ない、より日常的な付き合い方になりつつあるわけで。
それに加えて、冒頭で述べたように「Twitterのフォロワーと現実の知り合いが友人同士だった」なんてことがあると、いよいよもって「ネッ友」「リア友」という線引きはあまり意味を成さなくなりそうな気がします。

それがいいことなのか悪いことなのかは自分の狭小な視野ではとても判断しきれませんが、何はともあれ、ネット上だろうと現実だろうと、人との出会いは大事にしたいものですね。

*1:主に『フォロワーのオタク』呼ばわりしている連中

*2:後者は若干死語気味かもしれない

*3:こうした以前利用していたサイトを見に行くのが最近の密かなマイブームと化しているが、半分近くのサイトがサービスを終了していた。自分の黒歴史も綺麗さっぱり吹き飛んでいると思うと小躍りしたい気分である